あまり、妊活に注力していなかったのが、よかったのか、
誘発剤と、排卵注射のみの通院で、流産後3カ月で陽性反応!
とにかく、二人目出産時の大量出血などで、色々思うものの、震災で多くの家族を
失った方々をみて、せっかく産めるのだから、産もう!という
ただ、それだけの気持ちでした。
ご両親を失ったお子さんを、養子にすることも考えましたが、よそのお子さんを
大切にできるほどの余裕もなかったので、金銭的な寄付で終わりました。
私にできることは、与えられた命を無事に生むことかな。と。
主人からは、今以上は絶対に手伝えない。と言われ、気を引き締めて、
39歳の妊婦、悪阻も相変わらずひどく、銃で撃たれる夢にうなされたりして、
なんとか、5カ月を迎えて、出産する病院へ転院する日がきました。
2番目の子を連れて受診すると、「子宮口が既に1センチ開いている、危険だから帰せない」と言われ、そのまま車椅子に乗せられ、
入院病棟へ。2番目はまだ1歳半、頭が真っ白になりながらも、とりあえず
唯一のママ友と、実家の母に連絡して、二人の子供を預かってもらいました。
そこからは、長い入院生活が。