TOEFLテストの意義

特に米国への留学を希望する場合、TOEFLテストがよく採用されますね。

しかし、今は日本の中学高校の帰国子女受験でも資格として、提出する価値が

あります。アメリカにきてしまうと英検はNY以外の都市では受験が難しいので

春休みに、5th(日本では6年生になったばかり)の息子が、英語力と

時間的な余裕があるということで受けてみました。

speakingの練習だけは3回やっていただきましたが、あとは自宅で確認した程度。

どうなることやらと思いましたが、小学生としては高得点のスコアでした。

英検準一級が約85点と言われるそうですが、それ以上の点数でしたね。

兄弟は、彼のスコアをみて、大体目途をたてて、追々やろうということに

なったわけですが。

後日メールで、

You’re looking into colleges at the moment, right? I received your profile from one of our academic partners, ETS (a TOEFL test provider) and I’d like to introduce you to the Bachelor of Business Administration program at Hult International Business School.  I’m looking for a diverse group of talented students from 〇〇 to join our upcoming intake.

というようなメールがきました。

誰宛に送っているのか、気になるところではありますが、

何にしても初めて大学の案内がきたのでなかなか興味深いものでした。

しかし、まだ11歳、案内みても今通う時期ではないので、宣伝ですかね。

今の時代は、日本の学生もTOEFLのスコアは高そうです。

この地区にはアメリカンコリアンが沢山います

キンダーで現地校をESOLなしでスタートした息子は、当時白人系アメリカンの子が

多くて、そのまま友達も白人系アメリカンでした。

今年、5thで再度アメリカに戻って、色々な場面で過ごして、あと少しで卒業。

春からのサッカーチームも同じ学校のメンバーが多くて、

同じチームに唯一いるアジアンの子が、ギフティッドクラスで一緒だというので

初めてお母さんに声をかけてみました。

うちの子が鈍くさいので、冷たいのかと思いきや、割と親し気でして。

最終的に、今週遊びにきてもらえることになりました。

その後、息子と話をすると、学校ではやっぱりアジア人同士は基本的に

みんな仲良しだよ。というのです。

キンダーの時は、人種の違いや性別の違いに疎かったんですが。

さすがに、5年生にもなると、人種を感じるのか、

学校にいるアジアンの子達ってすごくみんな仲がいいんだよ。って言うんですよね。

だからと言って、白人の子を仲間外れにしているわけでもないですし、

英語だって、ほとんどESOLでもないのですが、

思春期になると、なんとなく同人種への安心感ってあるのかもしれませんね。

 

私が渡米して最初にやらされた作業で大変だったこと

前回、アメリカにきて最初にやらされた中で大変だったことは、ssnをもらう事

次が、銀行口座を作る事でした。確か同じ日にやったのですが。

来たばかりで、携帯電話もなければ、英語も一番できないのに、色々聞かれます。

携帯電話を持っていた主人が帰ってくるまで、英語の意味がわからなくて訳できず

沈黙した気まずい空気が流れたことを今もよく思い出します。

免許証もないので、本当に色々まっさらでしたし。

 

ですから、オオタニショウヘイウヘイ選手が渡米してすぐに、銀行口座開設する際

通訳がついていたことは容易に想像していました。

ですから、最初の会見の時から、銀行について全て知っていたんだろうとは

思いました。

しかし、まさか本当に本人に成り代わって、何年もの間、周囲をだましていたとは

残念ですが、日本で普通の子供として育っていたら、あり得なかったと

思わざる負えないです。

それくらい、アメリカで育つことと日本で育つことは違いますね。

そして、野球しかやってこなくて、それ以外のことは親切な監督や学校、チームメイト

にずっと恵まれて、サポートしてもらえて、伸び伸びプレイしてきた

オオタニ選手にとっては、私たちの想像を超えた心の傷になったでしょう。

今後、疑心暗鬼になったりしなければいいなぁと、祈りたいです。

ただの一言も、洩らせないほどに、オオタニ選手がピュアで、誠実だったのでしょう。

悲しい事件ですね。

アメリカでパートタイムジョブを探す

先日わかったのですが、コロナ禍で、移民が激減した際に、低賃金労働者が足りず

就労ビザの配偶者も、就労できることになっていたらしいです。

前回アメリカ滞在中は、就労禁止だったので、初めてパートタイムを探し始め

ました。

ですが、うちは会社が住宅、車二台、保険家族全員分プラス帯同手当として、

毎月、子供達は約300ドル、妻は900ドルほどがもらえます。

給料プラス約18000ドルが支給されているわけです。アメリカの物価高からいえば、

十分ではありませんが。

ですが、もし私が日本の扶養手当の108万円/年を越えてしまうと、扶養扱いでは

なくなるため、車は一台、保険も少なくとも自分だけ支給されず、900ドルもなくなる

らしいので、扶養をこえられないなぁ。と

アメリカの物価高から言ってら、月9万円ほどしか稼げないようなパートタイムが

なかなか存在しない上に、あっても本当の低賃金労働なので、

わざわざやるか??という疑問もでてきて。

案外、ちょっと働くって難しいなぁと気づきました。

主人の基本給与は、通貨変動にあわせて1.5とか1.4とかされます。

うちの会社は、待遇はごく一般的なようですから、商社とか銀行マンは、

帯同したら儲かっている方もいるんじゃないですかねぇ。

日食がありました。なぜかハイスクールとミドルスクールは休み

日食がうちの地域では、8割から9割欠けるレベルでありました。

カウンティが生徒職員分のeclipseグラスを購入しました。学校で配布されます。

みたいなメールが何度もきたので、学校に行かせれば学校で見るイベントを

やってくれるんだろうと思っていました。

小学校だけが早退や休む場合は、公休になるから、連絡するようにというメールで

下校時間とかぶるからだろうと思っていました。

ですが、春休み最終日に、授業がないんだと言い出しました。

結局、うちはグラスを購入していなかったので、学校に行かせたのですが、

ミドルスクールとハイスクールは授業は自習で、3割くらいの生徒しかきていない

ということでした。

「じゃあ、カウンティが購入したってグラスは一体どうなんだ?」と!

下の子を早退させて、図書館のviewingイベントに行ってみました。

最大値になるときに、ライブラリアンからの声掛けで大盛り上がりで終わりました。

しかし、たかが日食で学校まで休み、お祭り騒ぎのアメリカ文化にちょっと

違和感を感じます。

いやいや、図書館でやるんだったら、子供向けの日食の説明みたいなの

やるのが普通じゃないか!?

ちなみに、小学校中学校高校でも、特に日食についての勉強はないのです。。。

子供たちに聞いてみましたが、今更日食も月食もわかっていると。

まあ、小学校高学年なら知ってますよね。

春休みは母子家庭でvacationです。ソーシャルスタディについて色々学べます

盆正月以外の休みはなく、普通の日本人で働く旦那なので、春休みは通年通り

1人で三人連れて出かけてきました。珍しく姉達もスケジュールがなく、車で6時間ほど

行って着ました。

本当は3州ほど越えたかったのですが、みんな色々あって疲れ気味だったので、

無理をせずに隣の州のbeach沿いの温水プールありのホテルに滞在して、主な目的は

ミュージアムです。やはり、アメリカ人ではないので、ソーシャルスタディに

関係ありそうなミュージアムに行くことが多いです。

今回は、バトルシップミュージアムと南北戦争跡地でのレガシーミュージアム。

日米で育った子供たちには、広島の原爆博物館も昨年連れてきましたし、

アメリカ側の展示も見てもらい、素直に感じてもらいたいです。

やはり、日本では原爆の被害の大きさ怖さを主に伝え、アメリカ側は、終戦よりも

パールハーバーでの被害、ライジングサン(大日本帝国軍)の異常さを伝えるものが

中心になっています。

平和を維持することは、簡単なようで難しい。改めて実感します。

今回、ようやく奴隷制度の悲惨さを伝えたミュージアムに行くことができました。

奴隷制度と言っても、特に南部に多かったことや、誘拐でアフリカから連れてこられた

こと、奴隷解放後も、差別は続き、白人と同じ選挙権もなく、簡単な犯罪で殺される

白人との結婚も禁止され、と長きに渡り、差別は続いたのです。

思っているよりも、ずっとずっと長い間続いたようで、今の暮らしで一見差別がない

ように見えても、普通になったのはまだ最近です。

きっとみんな色々な思いがあるんじゃないかなぁ。と。

両方のミュージアム共通でアジア人がすごく少ないのです。

奴隷制度の方では、年配の白人夫婦などがいました、それをみて子供達は、

あの年代の人は、何を感じるんだろうと。自分達がやってきた差別について、

どう思って感じて展示をみているのだろうか。と。

みんな、大きな声で言わなくなっただけで、人種差別は、簡単になかったことに

出来るようなものじゃないのだろうなぁ。と。

黒と白、その中和剤的に、アジア人はアメリカには必要なんだろうな。と思います。

5年前と違って、子供達がそれぞれ、世界大戦や南北戦争についての知識を得ていて

成長も感じられる時間でした。

差別のない平和な世界をしっかり作っていて欲しいですね。

ハイスクールでのボランティア、teacher's gift card

春休み前最終日は、高校ではPTO主催の、先生たちへの感謝ランチがありました。

ケータリングを注文したり、キャンディの寄付を募っているので、それらをサーブする

ボランティアを多く募集していたので、参加してきました。

高校生の娘は、日本でもあまり勉強ができる方ではなかったので、数学とサイエンスの

スコアがよくありません。

なので、先生へのギフトカードを渡すべきじゃないか。と前からちょっと思っていて

本人は、結局苦手な教科の先生は苦手なので、自分では渡さないしで、ようやく

きっかけがあったので、ボランティアの際に持っていくことにしました。

中学高校は、先生も忙しいし、学校も広いので、大抵フロントに預けるのです。

小学校の場合は、ランチビジットと言って、ランチタイムに行くこともできたり、

ボランティアの機会も多く、渡しやすいですが、中高はフロントに置いて行って、と

先生からも言われます。

さて、ボランティア自体は、最初のセットアップにはかなり少人数しかおらず、

知らない方ばかりでビビりながら、なんとなくお手伝いしていたら、

先生たちがやってきました。先生たちのランチも3グループにわかれていて

最初のグループ、二番目までをやりましたが、最初は全然ボランティアがいないの

で、必死で相手していた感じでした。。。

うちの学校の場合、気にしてくれる先生は「あなたのお子さん名前なに?」

「〇〇やってる?」とか聞いてくださるわけです。

うちの学校は1000人越で、そんな名前いってもわからないと思うんですが。

おそらくボランティアやったりしてくれてる生徒をチェックしてくださるんです。

英語ができないので、なかなか会話は弾みませんが、中には日本に住んでいたことある

など、日本のどこからきたの?など親切にしてくださったり、しかし、仕事を

しながら、英語を話すというのがまたなかなか大変で、まあへとへとでした。

他のボランティアの方たちは、後からくる人が多くて、みなさん、寄付のお菓子や

ケータリングの料理があまるのを知っていて、持って帰るために、後半にきている

んじゃないかなぁ。という印象です。

 

さて、先生への差し入れとギフトカードは、最終的に20ドルほどしか置いてきません

でしたが。

先生からは、娘に必要なサポートや質問があったら、いつでも個人的にメールして

欲しいというお礼のメールをいただきました。

結局、お金を渡すと、授業中に気になることがあれば、お知らせしてくれるという

分かりやすい感じなのですが、要はお金をプラスでいただいたので、ちゃんと

他の生徒よりは、サポートしますよ。という事かな。と思います。

先生へのギフトカードは、当たり前、渡せばプラスのサポートが受けられる。

そういうことですね。