子どもと別居生活、長期入院

元々偏食がひどかったうえに、いきなりの入院で、上の子たちと

全く会えない生活が始まり、精神的にはひどい状態へ陥っていきました。

3人目欲しいというエゴのために、家族に迷惑をかけている。

死んでお詫びするしかない。というような、自分を責める気持ちが抜けず

体重は5キロ近く減り、ケトン3+とかで、点滴されるまでに。

それでも、抜け殻のような気持ちが抜けず、今でもあまり覚えていません。

とりあえず、主人は仕事が忙しく、子供たちは実家の母が地方へ連れて帰っていて

洗濯さえ、看護師さんにお願いする日々でした。

産んだら、死なないと。とやたら思うので、マタニティカウンセリングを受けて

「とりあえず、産んでからもう一度考えましょう」みたいな話をされ。

喘息やらアトピーも復活するしで、ボロボロで。

子どもは、毎回逆子で、そんなことも心配しながら。

今生まれたら、子ども病院のNICUですよ!と言われ、あの例の娘が搬送された場所です。

まる、8週間の生活に耐え、34週を迎えて、すっかり寒くなった頃、家に戻ることができました。

私が一番ボロボロで、子供たちは、やはり二人で一緒だったからか、

私の家族にかわいがられ、楽しくやっているようでした。

毎回、性別はきかずにいましたが、今回は入院になって、先生と会う機会が多く、

「どうして、性別きかないの」

「上が女の子二人なので、生まれる前からがっかりされたらかわいそうなので」と私が答えると。

「じゃあ、聞きなさいよ!男の子だよ!」ということで、初めて性別が判明して

出産をむかえることになりました。

男の子が欲しかった主人は、「俺は生まれるまで信じない」と。

帰宅後の生活にも慣れた、冬休みに、娘たちを実家に送り出したあと、37週過ぎてから、待望の長男が生まれました!

26歳で、不妊症がわかってから、10年以上かかって、3人の母親になりました。

入院期間中、「ええ、3人いらっしゃるんですか?すごーい」なんて若いお母さんに

言われると、「私だって、最初の子産んだ時に、まさか3人産むとは思ってなかったよ」としみじみ思って。

3人目の後陣痛は、バカにできず、よその赤ちゃんの泣き声でもお腹が痛くて、

うれしいやら、辛いやら、こうして、私の三十代は終わっていくのでした。