日本の学校とアメリカの学校

日本には2020年コロナ始まった頃、日本の学校が全て閉校した際に、帰国し、

そこから、丸三年間関西地区の公立学校に三人とも通い、長女は関西で、高校受験した

のです。

さて、小学二年で帰国した息子は、まず掃除もできない、関西弁がわからない。ので、

とりあえず、全くなじめず。ストレス嘔吐で、出る前、路上のあちこちで、嘔吐しな

がらの登校になりました。

素行も、日本の子供達のように、周りに合わせることができないので、みんなが、

こぞって先生の手伝いなんかをしても、一人知らん顔も平気なので、掃除の時間

学活の時間などに、急に怒られた。というようなことを言ってました。

あとは、アメリカ人は土足の文化なので、あまり床においてあるものを土足で踏んだり

することに抵抗がないので、習い事の先生でも床においたカバンを踏んだりすることが

あるくらい、土足でちょっと何かを踏んでも気にしない人が多いので、息子もそういう

面があって、素行が雑で姉達もよく怒っていましたが、そのまま学校でも女の子に

特に怒らているようでした。

次女は、小学生から小学生への戻りだったので、大人しくはなったようですが、

勉強で困ることはあまりなかったのですが、日本人の女子のトイレに一緒にいく

価値観がわからず、孤立してしまう発言をすることもあるようで、修学旅行まえに、

まっすぐに言い過ぎて、陰口をたたかれたりして、「最初から、何が正解だったか

教えてよ」と言われ、とても難しかったです。とりあえず、相槌を打つ、まず同意する

それが、日本式だと教えましたが、年齢とともに大人しくなっていったように思います。

中学で帰国した長女は、英語がbehindだったせいで、十代の巷で仕入れてくるような

男女の噂や、セクシャルのことが抜け落ちているようで、幼いとよくいわれていま

した。最終的にはふしぎちゃんと呼ばれていたようです。

登校開始二カ月ほどして、「お母さん、イケメン」ってなんだろう。と。

アジア人みんなほとんど同じ顔なのに、どうして?ととても不思議がっていました。

学力は、いきなり、コロナで学校がなかったせいで、大量のプリントを渡されて、

テストで、精神的にショックだったようで、喘息は悪化するし、初潮は始まるしで

初年度はボロボロでした。

小児科医に「この子の今後の人生で、一番きつい時期になるだろう」と言われました。

日本の学校は、とにかく授業を詰め込み、覚えさせ、生徒からの発信を嫌うので、

授業の取り組み方がつまらない。つまらない。とよく言っていました。

また、アメリカはあまり欧州の情報に合わせないこともあり、SDGSを全く知らず

親子で、???でした。

全員がなじまなかったのは、コロナ禍にありながら、給食を自分達で配膳することで

した。これは、アメリカで、やっていなかったこともあり、気持ち悪いと、結局

全員お弁当で三年間いきました。