なんとか、ビジネスシートということで、コクピットにいれてもらったり
ラウンジでご馳走食べたりと、良い経験をしながら、
アメリカに到着!
息子は、空港からすでに「ここアメリカ?」「ここアメリカ?」と外人に怯えっぱなし。
1歳から、週に一度とはいえ英語に通っていて、私の趣味もあり、アナ雪やおさるのジョージは英語でみせたりしていたので、多少英語に自信のあった娘。
さて、完璧だと思っていた育児の成果は!?
マクドナルドやバーガーキングのオーダーさえ、自分では全くできない子供達。
久しぶりに、「私がいなければ!!」みたいな母性に目覚め、
一生懸命サポートしました。
外で近所の子が遊んでいれば、一緒に自分も鬼ごっこしたり、かくれんぼしたり。
9歳の娘たちの相手は40過ぎのおばさんにはきつかったですが、
私がいなければ、何もわからないので、必死です。
いつの間にか、私も近所の遊び友達の一員に。ですが、3人も遊べる子供がきた!って
感じで、みんな毎日遊んでくれました。
サブディビジョンと呼ばれる、住宅区域内にある、プールに行ったりテニスコート
やプレイグランドで遊んだり。南の方だったので、9時近くまで外は明るく、
私一人で子供達5歳~9歳までの10人ほどみている時もしばしばあり。
片言英語の私達をすぐに受け入れる、これがアメリカの自由か!と。
英語が第一言語じゃない人がいるのが当たり前なんです。
だから、みんな良くも悪くも大雑把。
日本の夏休みとはずれているので、そんな日々も10日ほどで終わり、いよいよ
学校が始まりました。
念のため、日本の私立校の分校があったので、そちらに最初は通わせることに、
やはり、不登校やいじめはコンスタントにあるようでした。
長女は、5人しかいないクラスメイトのほとんどが英語が母語。
次女は、クラスメイトが10人ほどいて、日本語母語の生徒が3人ほどいました。
息子は、20人ほどいて、日本人が多数、先生も日本人というクラス。
下の二人は、問題なく学校生活を送ることができましたが、
やはり、高学年の長女は、全く授業についていけずに、ほとんど口をきかない。
私が何かいうと、会話が止まってしまうから、ほとんど話さない。と言い出しました。
日本では、英語は出来る方と言われていた娘は、打ちのめされて、
「どうして、お母さんは、アメリカ人と結婚しなかったの!」と言い出しました。