5年生、小学校最終学年

順風満帆に歩き出した次女、一方、小学校最終学年での編入になった長女は、

苦難の日々でした。

日本にいる頃から、次女は数字に関する能力がそれなりに高く、長女は普通でした。

算数でも秀でることができない。ということは、クラスに埋もれてしまいます。

常にpoor studentになってしまう、ESOLの中国人の友達も、うちの次女と同じように

ギフティッドのスクリーニング検査に94%タイルで招待されたといって、

喜んでいるのをみて。。。ある日、夜中下の子達が眠ってから、

泣き出しました。長女もさすがに、算数は75%タイルなので、恥ずかしいスコアでは

ありませんが、どうしても言語が不自由なせいで、

算数の先生が、掛け算もできない、生徒と一緒に座らせるということでした。

その生徒は、自分達より娘ができることが、イライラするのか、

丸付けで、交換したりして、直してあげているのですが、そういうのも

気に障ったようで、算数の時間にも関わらず、大きな声で英語ができない、

ミススペルや文法の間違いを指摘して大笑いされる。ということでした。

ずっと1年頑張っても、次女のように浮かばれないことに、とにかく疲れたようで、

5日ほど寝込んでしまいました。

兄弟であっても、全く才能も個性も違います、やはりアメリカに来たことは

失敗だったんではないか。そんな考えもよぎり、とりあえず、

長女のために、なんでもしてあげようと約束しました。

主人には、意味がないからと言われていましたが、メディテーションとして、

ずっと音楽を続けさせていたので、そういうこともなんとか

気持ちをリセットできたのかな。と思います。

算数の時間以外にも、ランチの時にカフェテリアで、やっていないことを

やったのは、〇〇だよ。とみんなの前で濡れ衣を着せられて、すぐに英語で

言い訳ができずに、先生に呼ばれたりと、大人しい上に、

取り柄がないことは、とても難しいようにかんじました 。

この事件のあと、学校に行くのをすごく渋りましたが、やはり近所に友達がいたことが

大きくて、その子たちは全く関係なく接してくれたので、

行くことができて、陥れた当の本人も悪で有名だったので、クラスメイトは

だれも、娘がやったとは思っていなかった。と杞憂だったことがわかって、

不登校には、ならなかったようです。

それでも、大騒ぎせずに、まじめに通いました。そして、卒業式の日に驚くことが

起こります。