幼児期の英語習得(その後)

息子は、キンダーをESOLではなく、レギュラーで、スタートして、

半年後に、Mathのスクリーニング検査を受けたようで、

acceleratedとよばれる一学年上のクラスになりました。そのクラスになると

別の部屋にいき、別のカリキュラムで授業がされます。

算数に関しては、日本人としてはおそらく普通のレベルだったと思いますが、

上の子もいるので、遅い方ではなかった程度ですから、やはり英語ができる方が

大きいように感じました。

その後、算数の持ち出し授業の子たちは学年80人ほどで、9人しかいなかったこともあり、

すごく仲良くなっていきました。

そのまま、年をあけるころに、別のクラスでテストしてきたんだ。と話すようになり

学年末には、ELAという英語(日本でいう国語)のクラスでもacceleratedになる

という案内、同時に、ギフティッドクラスのスクリーニング検査に招待する、

という案内をもらってきたのです。

次女がギフティッドに招待されたときは、カウンティ(教育委員会的な)からの招待

だったので、郵送で家に届きましたが、息子は直接成績表と一緒に持って帰ってきたのです。

低学年は、学校の先生からの推薦で選ばれるようで、直接手渡しでした。

そして、全ての4項目で、息子は9割以上のスコアをだして、ギフティッドになります。

1年の初めに別途行われたreadingのレベルチェックテストでも既に3rdの真ん中のレベルだと(readingスコアはアメリカ人の女の子と二人だけ学年トップ)

評価され、「ギフティッドの子供の育て方」という案内をもらってくるのです。

ですが、日本に帰れば、低学年なので、英語は忘れると思い込んでいたので

全く気にせず。。。日本人なのにすごいねーと楽しんでいました。

今思えば、ESOLで苦労する姉達をみて、英語で生きることへの意識がついて

いたのかもしれません。

とにかく、当時帰国時の息子は、学校でも評判のgeniusとよばれて、怖いものなしでした。

日本にかえれば、今度は日本語でこの言語能力の高さを発揮してくれると

信じて疑わなかったバカな私。

息子は、英語に関しての能力が抜群だったのです。

英検二級は帰国してすぐ7歳で受かり、準一級も9歳で、特別に英語を習うことなく

受かりましたが、日本語での授業には二年以上苦労しました。

最初の一年目は、朝路上に嘔吐しながらの登校、ノートもとれず、午後は集中できない。

早く家に帰って、英語で生活したい。そんな状態が結局三年間続きました。

読むのも書くのも英語、メディアも英語。

幼児期に多く学んだ言語がそのまま生活言語になる可能性が高いということです。

両方使わせれば、どっちつかずになるし、

あまりあえて別の言語をやるのは、とにかくお勧めしません。

息子は、一生アメリカ人にも日本人にも慣れないのですから。