日本の夏休み(お盆真っ只中)

主人が珍しく日本との会議が夜ないので、気づいたのですが、日本はお盆休み真っ只中

ですね。WWIIともかかわりの深い、原爆投下の日、終戦記念日と続きます。

なかなか、子供たちには深刻さは伝わらないな。とやはり時間とともにそう感じずには

いられないですし、私達夫婦が関西地区近辺で、被爆者が親族にいないこともあり

身近なことには感じていないようです。

しかも、広島へは今年の3月に行ったばかりですが、日米思い出の地ということで、

夫婦で相談して、原爆ドームに行ったその夜に、主人の転勤一カ月をきってから、

子供達に引越しの話をしたのですが。その時息子は「海外転勤」という言葉がすぐに

わからず、「てんきんって?」と言ってました。

その時の、広島の印象も私が小さな時に訪れた被爆地(悲惨)というよりは、

やはり観光地としての雰囲気の方がずっと強くなっていて、とにかく美しいのです。

ツアーガイドも沢山いて、英語での案内をしている外国人観光客も沢山みかけて、

広島県民自体も、外国人を歓迎しているように感じます。

アメリカ人にも言われますが、植民地化していたのに、アメリカのこと大好きなのは

日本人だけだよ。と。良いのか悪いのか。

ということで、うちの子達は変わらずアメリカ軍はひどい。という印象は全く持たずに

再びこちらに来ました。

実際のアメリカでのsocial studiesではenemy、Japanと言われ続けるのですが。。。

息子は、今のところcivil war辺りでまだまだ楽しく学んでいます。1920辺りも大丈夫

でしょうけれど。長女は、その頃はちょっと嫌な思いをしているようでした。ESOLだ

ったので、詳細が分かっていないのと、息子のように完璧に理解しているのでは、

印象は変わるのでしょうか。楽しみです。

 

さて、日本にいた三年間の夏休みどう過ごしていたかについて紹介したいと思います。

サマーキャンプ的なものを必死で探していました。基本的に日本は塾の夏期講習に

行くのが一般的です。補習のような形で、毎日ある程度の時間行ってくれるので、

親御さんとしては安心なのでしょう。

うちは、元々も詰め込み教育否定派だったので、塾は選択肢になくて、

学校では習わないようなことを。と探してました。その一つに、

長野県白馬村で行われているnature campには二年参加させました。英語はスタッフが

使うだけで、基本的には勉強は一切なく、アメリカ式に近い。と問い合わせでは熱心

に説明されました。息子は、合計で三週間参加したのですが。日本語は禁止されて

いません。日程もインターナショナルスクールの子にも合わせてあるので、6月から8月

半ばまであるので、公立学校でも参加できました。費用は日本語でのものに比べて

高いですが、息子はとにかく、大人が英語を話す家にしか泊ったことがなく、日本語で

大人と話すのが極端に苦手だったので、英語キャンプに申し込んだのです。

日帰りの時は、さほど気づかなかったのですが、参加者のほとんどが日本語が強いか

英語はほとんどできないのです。ですから、うちみたいに日本語名の場合日本人と

同じ部屋になるので、部屋では日本語を使います。

お迎えの時に「ママ、今回ねー結構日本語練習できたよ~」と言われた回もありま

した。うちは泊りで出すと日本語力が落ちるのを心配していたので、むしろほっと

しましたし、参加中に何度となく、日本人の子に「なんて言ってるの?」と聞かれ、

通訳したり、スタッフの英語が下手な人を手伝ったり、という場面があったようで

「ぼくは、bilingualなんだ。」と強く意識するよい機会になりました。

しかし、英語を期待して申し込まれた親御さんだったら、どうでしょうか?

全て英語のカリキュラムです。とかオールイングリッシュです。とかいうサマー

スクールなど色々みかけますが、参加者はほとんど日本語を話す人です。参加者と

ネイティブの先生が同じ数とかなら分かりますが、とりあえず、日本で見つける

英語キャンプには、多くを期待しないようにした方がいいですね。

英語は必要だから、やる。だから伸びるんです。目的もなく、だらだらやるなら、

どんなこともそうですが、うまくはなりません。

あと、英語ができることは、日本語ができることと変わらないです。結局は

コミュニケーションツールの一つで、二つの言語を不自由なく使えるとそれだけ

自分が生きる場所が広がる(選択肢が広がる)だけで、人生が成功したり、学歴が

保証されるわけではないのです。

極論から言えば、三木谷社長もおっしゃってましたが、社内の公用語を英語に

すれば、優秀な人材を世界中から探せるし、依頼先を世界中から決められる。と。

自分が英語と日本語使いなら、社内用語が日本語の会社でも英語の会社でも働ける

その可能性が増える。ということでしかないと思います。

どちらの会社からも要らないといわれるような人間だったら、結局意味がないのです。

英語ができなくても、海外で活躍するプロ選手が過去に沢山いたように、大谷選手

だって、通訳雇ってるわけですし、一平通訳は、大谷選手の年俸より上にはいけない。

英語が絶対に人生に必要かなんてわからないです。

子どもが英語ができることを自慢だと何度となく日本で言われましたが、

うちからみれば、野球がすごい子がいれば

そっちの方がよほど将来性あるようにみえるのです。

どうして、日本人のお母さんはわかってくれないのでしょう。と思っていたことを

思い出しました。英語が強いことを自慢だ自慢だ、お母さんが無理に自宅でも

英語を使わせていると、周りのお母さんや先生たちに何度いわれたことか。